Leica Q2!
、、と言っても買った訳では無い。
予め断っておかなければならないのは、最近の僕は70mm以下の焦点距離で撮られた写真の、全体的な湾曲が気になって気になって仕方がない変態的な体質になってしまっている。以前はそんな事は考えた事もなかったが、一度気持ち悪く思ってしまうと潔癖症的にいつもどこか歪んで見える感覚。結構これは深刻な問題で、最近シャッターが激減している原因となっている。50mmでも不満な僕にとって、28mmレンズを装備したQシリーズは最初から購買対象から外れてしまう。
しかし先日、Q2をイチローはどう思うか?と読者の方がわざわざメッセージを下さったので、嬉しくなって僕なりの思うところを少し書いてみる(^^)
10年以上ぶりに朝の精進湖を訪れた。1000円札の裏の絵が撮られたスウィートスポットだ。ちなみに今日の写真はQ2とは全く関係ないし、ライカでもないAPS-Cの35mmレンズ。(^^) Fujifilm X-T20, Carl Zeiss Flektogon 35mm f2.4 (ƒ/8.0, 1/125, ISO 200) ©2020 Saw Ichiro.
大抵のブログや評論は、現ユーザーさんやメーカーさんなど様々な配慮が先立って、なかなか書き手の本心が分からない事も多いが、僕にも一応、僕なりの自分ルールがあったりする。
それは、文句を言っていいのは自分が身銭を切った機材だけで、持ってもいない道具に文句を言う権利は無い、というものだ。それではただの性悪な悪口になってしまうし、文句には、その裏に愛が無ければならないと思っている。
だから僕も、Q2に関して何も文句はございません(^^)
Q2にしてもM10モノクロームにしても、近年のライカの高画質に向かう進化が目覚ましい。中でもQ2はムービーも撮れるし、寄れるのでテーブルフォトも余裕だし、軽いしM10オリジナルを凌駕してしまうような描写で、現Mユーザーを口説き落とすだけの誘惑は十分にある。それに、気分は26歳のままのつもりが最近いよいよ視力の衰えを実感し、本格的なジジイを自覚しつつある今日このごろ(^^)、オートフォーカスはやっぱり魅力的だったりする。
M用レンズ、ズミルックス 1.4/28mm ASPH.は85万円もする高級レンズだが、Q2はF1.7版とは言え、ズミルックス28mm ASPH.を搭載して748,000円。重量もズミルックスMの440gに対し、Q2はボディ込みで720gと来れば、いちいちレンズを付け替えるのも面倒だし、当然Mとの二台持ちを検討する流れになるのは、恐らくLeica社の計算通りだろう(^^)
僕も何度かJLUGの先輩方にQ2を触らせて頂いたし、Leica中判の画質を見慣れたつもりの目にも、Q2のやる現代的で緻密な描写に何度も驚かされている。JLUGやLeica Meetでも時々Q2の見事な作品を目にするし、4K動画が必要な人がどれだけ居るかは分からないが、ムービー用途としても最高では?と僕も邪心を何度か抱いた(^^)。でも今回はやめた。ここからはやめた個人的な理由を書いてみる。
自慢の機材をズラリと並べたおじさん達に包囲されながら、三脚も忘れてミニデジカメを片手にヘラヘラしていた僕は、恐らく周囲からは最もやる気の無い頂点に認定されていたに違いない(^^)。Fujifilm X-T20, Carl Zeiss Flektogon 35mm f2.4 (ƒ/8.0, 1/125, ISO 200) ©2020 Saw Ichiro.
ズミルックスと比較して安いじゃないか、なんて言ったって、それでも今どき70万円オーバーのデジカメを求めるというのは、まともな感覚ならば正気の沙汰では無い事はここでは度外視するとして(^^)
それ以外の僕の個人的なトピックは以下だった。
- そもそも高解像度も高画素数も今の所僕は必要ない。(だからM10からM9に回帰した)
- 現代的な新しい画作りも今はあんま興味ない。(むしろ、性能の凄さに目が奪われる様な道具だと、撮り手である自分が負けるw)
- Q2以前に28mmという広角は1万枚に1枚くらいしか必要ない。(これが35mmズミルックスだったら、もっとずっと危なくなるw)
- クロップ状態で撮れるアイディアは面白いが、iPhoneは似たようなクロップやズーム機能がありながら、結局長焦点レンズを追加する方向に進化した。実際、Qの28mmレンズを50mmや、ましてや75mmに最初からクロップして使う気になるのだろうか。なら全部28mmで撮っておいて現像時に必要なだけ好きに切ればいいとならないか。
- Q2は超高画質だが、Mのやる世界観、表現は、画質を超えてもう一歩先?を行ってくれる事が時々ある。画質を超えた先にあるもの、言葉にすると詩情間、情緒感、侘び寂び的な事だろうか。
LeicaはMこそが本流で、Qより偉いというような、先入観やブランド思考は僕には微塵もない。実際、Q2の絵は多くのMよりも現代的で、猛烈に高解像な絵が得られるのを上手に活かして、例えばパンフォーカスの正統派・高画質ストリート・スナップを主体とする御仁なら、Q2の絵はまさにユニークだしドストライクと思う。Mを持ち歩かなくなるほど気に入るかもしれない。旅行の記念や家族との幸福な時間の「記録」としても、Qは多分Mより手軽で便利だ。
一方、ポートレートを主戦場とする人にとっては、ボケない75mm?に一抹の物足りなさが残るだろうし、50mmにも75mmにも切り替えれるから、50mmズミルックスと75mmズミルックスを全部まとめて手に入れられて、お得だ!という都合の良い話にもなるわけないw。
スペック上の数値からは似た様に見えるかもしれないが、それぞれのレンズに開発者達の深い考察と理想、苦悩、情熱がたっぷりと注ぎ込
ちなみにデザインはQ-Pが断然カッコいいと僕は思う。こんな記事を書きながら、Q2-Pが出たらかなり揺れるはず。笑
「一歩先の表現」というのは必ずしも高性能や最先端から来るものとは限らない。オールドレンズの劣化感だったり、単なる長焦点レンズのボケの要素から来るモノだったり、あるいはM9やM240のデジタル黎明期における、ある種の不完全さが人間の目に優しく感じられる瞬間は、確かにある。例えば同じ28mmでもどういう訳か、M240+ズミルックスMで映し出される世界感の方がほんのちょっとだけ、なんだか妙にじんわり来る、という様な感想が、時々僕にはあったりする。
写真はカメラではなく人間に依るモノだが、道具がそれを後押ししてくれる経験はライカユーザーなら何度となく経験しているはずで、特に僕の様な未熟な写真家にとっては有り難い恵みとなる。アイデンティティの構築は、道具の選択から始まっている。
アイデンティティとは「偏向」であり、非常識である事だ。社会との関わり合いではトラブルになり得るが(^^)、突き詰めればその偏向は作品にもなり得る。
Q2は”非常識”に素晴らしい画質を追求した側の道具と僕は感じている訳だが、ライカにある種の曖昧さを求める方向の偏向を持つ種族は少数派ながら存在する。彼らは(僕もその一味だが)「なんだか妙にじんわり来る」側の一枚を期待して毎日Mをカバンに忍ばせている訳だし、それが写っていないキレイな写真は全部削除の対象になる様なら、もう既に貴方の偏向は症状が進行していて良い具合に偏っている証でもある(^^)。
Fujifilm X-T20, Carl Zeiss Flektogon 35mm f2.4 (ƒ/5.6, 1/30, ISO 6400) ©2020 Saw Ichiro.
これらはあくまで僕個人の趣向であって貴方の趣向とは違うはずで、しかも僕の小遣いが足りずに自分で自分に買わない能書きを並べているだけかもしれず(笑)経済事情が許すならばまずは飛び込んでじっくり遊んでみるというのが、一番正しいのではないかと思う。
Leicaが作る最新のエンジンとレンズの組み合わせが楽しくないはずはない。なんだこれでいいじゃんという結論にもしなれば、Mの沼からも開放されるし良い事しか起こらないじゃないか(^^) 事後の満足度は取り手のスタイルに依存するのは仕方ないとして、違ったらMap Cameraにお世話になればいい。一年くらい遊んで20万くらい損したとしても、最高級カメラのレンタル料と考えれば激安だ。
ただ、Leicaのエントリーモデルとして最初に選ぶなら、僕はQよりMをオススメしている。それは描写云々ではなく、現代においてマニュアルしか無い一見不便に思えるMモデルに精通する事は、複雑化した現代カメラのもっと本来的、本質的な概念を体得する事に他ならないから。
特に写真を志す若い貴方は、ちょっと安いから、これなら簡単そうだからとか、Qの方が楽そうだからと、最初からMを避けて通ってはならないとイチローは思っている。
「手ブレ補正が僕には必要で、、、」「像面位相差AFが357点ないと、、」とか「連射は最低一秒間に30枚はあった方がいいかも」とか「瞳フォーカスが、、、」しまいには「どうぶつの瞳がああ」などとメーカーの宣伝に自由自在に踊らされて怯えきっている大衆の一人から、
M+ズミクロンを片手に
「そんなもん一つもいらねえ」
とまるで別人の様に、物事の本質を嗅ぎ分ける威風堂々とした写真家に変貌を遂げるのに、半年はかからないだろう。