アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

世界で最も愛されるカメラ(改定)

世界で最も投稿されているカメラをFlickrのカメラファインダーで見てみると、本日付けでダントツでiPhoneだ。2位がキャノン、3位ニコン、4位SAMSUNGのギャラクシー、5位のソニーと続く。フジは7位でライカは15位だった。 キャノンはエントリー向けのKissが多いと思いきや、5D mkIIIがトップだった。まあフリッカーに作品を投稿している時点で、結構本気度の高い人が多いとも思うが、スマホを除くと事実上、5D mkIIIが世界で最も多くの人が愛用していると言っていい。 どうしても僕は日本のカメラに批判的になってしまう悪習があって、この記事も一度公開して、ちょっと読み苦しいかと思い改定したのだが、自分では文句では無く憂いのつもりであり、改善して欲しいという願いでもある。 写真を並べたのは、着目点はボタンの数と、文字プリント数。 5D mkIIIの写真を拝借。 ちなみにこちらは僕がちょっと興味のある、FUJI X-PRO2 これは以前使っていたモデルの後継機、Sony α7 mkII。 そしてLeica M10。 map cameraさんより。斜め後ろのM10の写真が、世界的に無いw 今まで使ってきたカメラには山ほどボタンがあったが、僕はその多くを使いこなせなかった。久しぶりに使うと、何のためのボタンなのかすら、忘れてしまっていた。マニュアルを熟読した直後なら何とかなるが、使用頻度が低いものから忘れていく。だからいつも自分のカメラは、オーナー自身がよく分からないボタンや機能に満ちていた。それが当たり前と思っていた。 それと僕は露出補正ダイヤルに否定的で、僕が使わないダイヤルが一番よく使うポジションを陣取っている事自体が、僕の感覚と噛み合わなかった。でもそういうものと諦めていた。露出補正が的を得る場面は、カメラの判断基準の初期設定を修正したい時だけで、メニューの中にあれば十分と言うのが僕の考え。露光ポイントをちょっとずらせば2段くらい十分にコントロール出来るし、三脚に乗せていて露光のためにカメラをパンニングするのが面倒な時には意味があるかもだが、それは風景屋さんしか必要ない。 欧米人はシンプルである事に価値を見出す美意識が、誰しも少なからずある。これはあらゆる物事に現れていて、例えばトイレ。流すボタンは日本では親切にもゴチャゴチャと文字だらけだが、ヨーロッパでは文字は一切無し。大きいボタンと小さいボタンが2個ついてるだけ。どこに行っても文字の書かれたトイレを探すのは難しい。直感的なインターフェイスをもって、何も書かなくても分かるだろ?と利用者の感性と教養を信じる根本姿勢がある。 「露出を決める3原則、シャッタースピード、ISO、絞り。カメラにはそれだけあればよくね?」そう提唱している伝説的ブランドが、今もある。LEICA。提唱通り、極限までシンプルなデザイン。僕に必要なものは全てあるが、不要なものが一つもない。後者の、不要なものがない、こちら側がいつも盲点だ。Leicaが手に馴染んで来る頃には、人間と道具との間に論理的な共通認識が、何の淀みもなくスっと流れる爽快感を、僕は感じる様になった。 一秒間に何枚連写出来るとか、背面液晶がチルトするとか手ブレ補正がついてるとか、確かに時には便利だろう。しかしカメラにとって大事なのはそこか?人々はスペックばかりに目を奪われていないか? カメラ選びで最も大切な事、それは自分がそのカメラを愛せるかだ。 好きだからこそ肌身離さないし、長く使い続けられる。 暗闇に置いたLeica M9とSummilux 50mm f1.4。by ichiro そしてこの話を、だからライカは偉い、で終わらせるのは僕の本意じゃない。…