僕は自分をアーティストだと思っていない。そうありたいという願望はあるが、Leicaがどうとかレンズがどうとか言ってるうちはダメだろう。
わ、凄い解像度!とか色味が美しい!とかカメラから出てくる絵に喜んでいるうちは、カメラの性能を楽しんでいる実験の領域だ。道具が手足となり、空気の様にカメラの存在を意識しなくなった時が、ようやくスタートラインではないかと思う。僕は昔から不器用で遠回りするタチだ。まあ気長にやろう。
かと言って道具はやはり、使い手自身を成長させてくれる。少なくとも、使い手の意識レベルに大きく影響する経験は、僕は今まで何度もある。
アルファロメオ・オーナーは納車された日から突然「アルフィスタ」になる。最初は照れや気負いがあっても、ピッカピカの真っ赤なクルマに一年も乗り降りするうちに、実に不思議なことに、着るものや考え方、時に立ち居姿まで、知らず知らずに少しづつ、それに見合う人になっていく。BMWやメルセデスも同様に、人間の方を変えてしまうほどに、モノ自体が「哲学」という強いオーラをまとっている。
ライカにもそんなオーラがある。僕に「写真」について真剣に考えさせてくれたのは、Leicaそのものだった。
元々僕は他人の作品にほとんど興味が無かったし、過去の偉大な先人から真摯に学ぶ気持ちすら起きない、怠惰な人間だった。しかし道具をじっくり眺めて、じっくり触って、考える。そんな時間が長いほど、カメラについて、写真についての思考が少しづつ深まっていく。
M10のRawとjpgを比較
今日はNissinストロボを使ってM10のRawとjpgを比較してみた。アマゾンから届いた中国製の安いソフトボックスを使用。ストロボはDi700Aを1灯のみ、面倒なので反射板も無し。ホワイトバランスは「フラッシュ」。
M10のRawをLightroomで無補正のままM10 Embedded Profileにてjpg化。
M10のjpg撮って出し。コントラスト、シャープネス、彩度全てNormal。
M10が出力するjpgは、Rawよりもシャドウがかなり締まる。彩度はやや抑えめか。ストロボを入れた場合はRawの方が人肌は自然な様だ。
M10のRaw。
M10のjpg撮って出し。
M10のjpg撮って出しくらい黒が締まると、よりストーリーがドラマティックに見えるかもしれない。次回は自然光で比較テストしてみたい。
ついでにセコニックの露出計、L-478DにM10の露出プロファイルを登録してみた。これを登録しておくと、例えば日中、日向と日陰のコントラスト差が激しい時、M10のレンジ内に収まるかどうか、露出計で事前に把握する事が出来る。白トビギリギリを狙いたいなんて時に便利だ。
露出プロファイル作成は、X-rite社 color checker passportを使った。
M10のダイナミックレンジとクリッピングポイント。
こちらは以前計測したM Typ240のプロファイルだ。個人が自宅でいい加減に撮影しているし、クリッピングポイントも割りとコンサバティブに出てるしあまりアテには出来ないが、M10が進化しているのは一目瞭然だ。しかしこの数字だけ見れば、恐らく驚く様な数字ではないのかな?
最新便利機能は日本メーカーの独壇場だし、スペックで比較すれば、ライカに目新しいトピックはほとんど無い。ライカは電子部品屋ではなく、カメラ屋であり、レンズ屋だ。デジタル部品は日本メーカーに頼むしか無い。しかしその本質は、彼らの哲学にある。
僕は音の技術屋だから分かるが、ライカの技術者達が本当に伝えたいものは、むしろスペックの外側にあると思う。
夕食後、カメラテストに娘達に協力してもらったが、モデル業もまんざらではなさそうだ。Leica M10 + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/8.0, 1/125, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.
ライカM10のレビュアーの先輩方はみんな大人で、無用な批判や論争を避けるためにM10を、「一家言ある写り」と言った当たり障り無い形で表現する。一家言って、どういう意味だ?つまりなんなんだ??
特に販売店系のブログなどは、力関係や人間関係も複雑な話がいろいろとあるのだろう。だがそんなしがらみも何も無い僕の様な素人の部外者は、好きに思った事を書けばいい。
ほとんど同じ設定で同じ自宅リビングでM Typ240で撮ったオヤジの写真を8月25日の記事に載せたが、その時はやはり目の覚める思いがしたが、M10と比べると一枚薄膜がかかって見える。僕は今日、はっきりと次世代の何かを、Leica M10に感じた。オリジナルはjpgでも一枚7MBくらいあるので、ネットでは画質劣化するのが残念だが、久しぶりに息を呑む思いをした。驚きと共にM10は、極上のカメラだと思った。