これはN.Y.の写真家、William Kleinのムービーだ。有名人だがこの人を語れるほど僕はよく知らない。彼が使ってるフィルムライカは何だろう。
このムービーの良い所は日本語ではなく、英語の字幕がある事だ。(具体的に何を喋ったのか検証できる)僕はニューヨーカーの発音が苦手で、今まで二度行った事があるが、その度に会話に聞き取りに難儀した。単なる僕のメモだが、N.Y.渡航前の耳慣らしに、このムービーはうってつけだ。行く予定は無いが(^ ^)
ところで僕は今日、ズミルックス50 ASPH.の保護フィルターを外すことに決めた。僕はレンズキャップを付けない派なので、高価なレンズを直接触ったりぶつけたりするのを恐れていたのだが、もうやめた。つまり、もうこのレンズは手放さないと決めたのだ。
実はズミクロン50もズミタール50もズマロン35もエルマリート90も、フィルターはとっくに外していた。(ノクトンだけはまだ付けている。多分手放すから。)
完全にレンズを裸で持ち歩く訳だが、今までの自分が撮った写真は、常に一枚余計なガラスが噛んだ絵だった。その事がなんだか急にアホらしく感じてしまった。今使うために僕はこのレンズを買ったのに、未来の事故を心配する余り、常にピュアな状態では使えないなんて本末転倒じゃないか。
運動会の前の特訓 – Leica M10 + Voigtländer 50mm f/1.1 Nokton (ƒ/1.1, 1/60, ISO 3200) ©2017 Saw Ichiro.
ファインダー内に埃が入る噂を聞いて、怖くてライカ購入に踏み切れない人をどこかで見かけた。僕の友人はセンサーへのチリの付着を恐れて、レンズは絶対にボディから外さない。(レンズ交換自体をしない)またある知人は中古ベンツのオープンを買ったが、雨漏りを恐れて買ってから一度も屋根を開けた事がないという。
これらは余りに清潔で、余りに平和な現代日本の心の病だと思っていた。笑い話の様だが、レンズに保護フィルターを付けなきゃ気が済まないのも、似た様なものだとも思った。
何かを恐れるという事は、心を奪われている状態だ。僕はたかがLeicaレンズごときのために、心を奪われていた。確かにチリ一つないピッカピカの美しいレンズを眺めると、この美しさは今だけと思うと多少残念ではある。それでも手元のミクロな話よりもっと外に目を向けて、残り人生を謳歌する方がいい。レンズより人間の心の方が大事だ。
江ノ島水族館 – Leica M10 + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/1.4, 1/60, ISO 1250) ©2017 Saw Ichiro.
ベルリンのライカショップに行った時、店員が平気で中古レンズをウェスでガシガシ拭きまくっていたのが印象的だった。今にもコーティングが禿げそうなオールドならまだしも、現代レンズは保護フィルターガラスよりもずっと頑丈に出来ているらしい。仮にハードヒットして痛めてしまったとしても、Leicaレンズの修理は意外と安いらしい。トップレンズを交換するのに、欧州での話だが300ユーロ程度だったかな?日本ではいくらかかるのか知らないが。
僕はMacbook Proも最近新調したばかりだが、ソフトケースに入れたりせずにカバンに直接突っ込んで毎日持ち歩いてる。M10も8月に購入してからまだ一度もデジケータに入れてない。毎日必ず持ち歩いているし使ってる。これら道具はジャケットの様に、靴の様に、気楽に毎日使えばいい。道具も人も一期一会。汚れたら拭けばいい。壊れたら治せばいい。
だからいよいよ、僕はライカを遠慮なく使う。(^ ^)