このムービーは以前にぼんやり眺めただけだったが、何か残るものがあってまた探し出してきた。日本語字幕も無いし画質も悪いが、フル尺で見れる。なんとなく見てるだけでもフィルムライカのシャッター音が心地よく、ものすごくライカを乱暴に扱っていたり(笑)ライカやいろんなカメラを撮りまくっていて小気味いい。
日が落ち始めた、目測露出が難しい時間帯のシーンで、フィルムカメラを取り上げて、露出計を取り出す。一瞬で適正値を読み取りそのまま露出計を放り投げて、すぐに撮り始めるシーンに、僕はプロを感じた。被写体を発見し、露出を測って撮り始めるのに要した時間は5秒だった。
Magnumは世界で最も会員になるのが困難な写真家集団だ。毎年、300人以上の入会希望者が居ると言う。
”現在、正会員は46人、準会員は3人、候補生4人。まず候補生になるには、会員の半数以上の賛同が必要とされ、候補生になると2年間の仮採用期間を経て、準会員への投票が行われる。その際は会員の3分の2の賛同を得る必要があり、準会員から正会員へも同様。”
との事だ。恐ろしいほど狭き門だ。
良い写真家とは何か?と言う問いに対し、彼らは明確な答えを持っている。映画で彼らはこう語っている。
「生き残る為には、個性ある人材が必要だ」
「私たちが必要とする写真家は、最先端(カッティング・エッジ)の仕事をする人だ」
最先端の写真とは、なんだろうか。少なくともライカを使う事が求められている訳では無いだろう(笑)
しかし映画を見る限りライカ、そしてフィルムの使用率が高い。当時、彼らがマグナムに入会し、3分の2に認められた「個性」にはフィルムが必要だったのだろう。しかし次の会員には、それと同じ個性は求めていないと明言している様に僕には聞こえる。
停車中の窓から。Leica M10 + Voigtländer 50mm f/1.1 Nokton (ƒ/1.1, 1/500, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.
最先端の写真と言われてもピンと来ないが、例えば最先端の音楽と言う時には、僕はもう少し明確に見渡せる。「音楽」とひとくくりにできるものではなく、ジャンルや文化が毛細血管の様に多様だ。しかし細分化された各ジャンルに置いて、最先端の人たちは確実に存在する。
彼らは先人が築き上げて来た文化を愛し、消化した上で、感性の近い仲間たちと切磋琢磨しながら新しい何かをその文化の上に積み上げていく。今まさに積み上げる事に生命を注いでいる人たち。そこが音楽の一つの最先端だ。だから最先端の人はたくさんいるし、優劣や勝敗ではなく文化を今まさに構成している個性そのものを指す。恐らく写真も同じと思う。
日本には素晴らしい写真家も音楽家も多いが、それぞれが個人プレー的に感じる事がある。「最先端」と言う表現の裏には、背景にチームとしての共通の目標地点がある。つまり最先端とは個性の集合体があって初めて意味を持つ言葉で、一人でどんなに新しいと主張しても「素晴らしい」とはなっても「最先端」とはならないのでは無いか。世界中の才能がアメリカに集まるのは、ある種のチームプレーをしにN.Y.に行くのだ。だから新しい文化やカッティング・エッジが、アメリカから生まれるのでは無いか。
群れるのが嫌いとか、俺は一匹オオカミとカッコつけるより、意識の高いチームに所属する事こそ意義があるのでは無いかと、最近思う様になった。なので僕を入れてくれる日本の写真集団があったら入りたいと思い(笑)真面目に近所を探してみたが、初心者向きの写真教室みたいな所しかみつけられなかった。
照沼さん。葉山パッパニーニョより。Leica M10 + Voigtländer 50mm f/1.1 Nokton (ƒ/1.1, 1/500, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.
照沼さんはジュエリーデザイナーとして偉業を成し遂げた人だ。物事の本質を見抜き言語化する能力に突出していて、知恵の足りないイチローをいつも助けてくれる大切な先輩だ。先日、M9とM240が強い個性があって、それが自分の作品をサポートしてくれていたのが、M10は脱個性になった話をしたら、彼は写真に全く興味は無いのだが、さらっと教えてくれた。
「能力が一定以上に高まり自分の個性が定まってくると、道具の個性は邪魔になってくると思うよ。最後はニュートラルの道具が大事になってくるんだよ。」