遂にこの知らせが来てしまった。2025年12月8日、生涯を懸けて双眼望遠鏡のために走り抜けたレジェンド、メガネのマツモトの松本龍郎さんが、星になった。享年74歳という事だった。まだ全く実感が湧かないが、ここに少し記録を残したい。

病名は急性骨髄性白血病。長い間入退院を繰り返され、抗癌剤治療と戦っておられた。付き切りで看病されていた奥様のお話によれば、8日の午後1時14分頃、眠る様に安らかに旅立った。ギリギリまで家に帰りたい、仕事場に戻って、待ちわびているユーザーさん達のEMSを製作したいと、意識が無くなる間際まで懇願されていたそうだ。

さっき、松本さんとのFacebookチャットを1年分読み返した。膨大な情報量で、どれもこれも貴重な僕の宝物だ。僕がいつも朝まで起きている事を知っている彼は、夜中にトイレに起きるたび、何か面白いことを思いつくと連絡を下さった。夜中の3時とかに。^_^
しょっちゅう手厳しいお叱りも頂いた。素人の浅知恵絵とか、ノギスの使い方がなってないとか、旋盤が無いなんて包丁の無い家庭だとかなんとかw、散々言われたりしたが、反対にPCやWEBに関してはいつも僕がテクニカルサポート役だった。その時だけは先生と生徒の立場が逆転し、ここぞとばかりにやり返した。笑

10年前に僕が撮影をお手伝いしたEMSの商品写真は、生涯使って下さった。現在のWordpressベースのウェブサイトも僕が構築したものだ。(途中、一度データベースが壊れたそうで、ご自身で再構築された。)
松本さんは元来、人に何かを教えるのが大好きで、メガネのマツモトを継がなければ彼は理科の先生が向いていると僕はいつも思っていた^_^ 僕が何か技術的な質問すると、水を得た魚の様に活き活きと懇切丁寧に教えて下さるのが日課だった。
たまに難しい数式を僕に教えようとして、ほら!これで焦点距離の位置が求められるんだよ!涙の滝でしょう!?^_^ と嬉しそうに問われ、数式があるだけで全て読み飛ばすと決めている僕は、へえ…程度のリアクションしか出来ず彼をよくがっかりさせた笑。それは彼にとって涙の滝ほどの出来事らしい。^_^

頭の良い理数系の方特有の、最小限の単語で端的に表現される文体から、一見すると松本さんは冷徹で怖いイメージがあるかもしれないが、実はとてもお茶目な一面もあった。
パチンコと言うのか何か忘れたが、ボウガンの様なおもちゃが松本さんは大好きで、病室からカラスを撃ちまくりたいと仰っていた。笑
看護婦に説教してやったと言うから(^^)、そんな言い方をしたらこのジジイ、早く死なないかなと思われたらヤバいので感謝し過ぎるくらいお礼を伝えて下さいと、たしなめたりした。笑

松本さんの普段のご投稿も文言がやや痛烈だったりして(^^)、この一文は読み手が不快な気持ちになるので消して下さいと頻繁にお伝えしたりした。半分以上が社会批判だったりして、そういう事書くから長くなるんですよとかw、割と遠慮なくお伝えして来た。
そんな時、この偉大なレジェンドは算数の苦手な僕の拙い助言に、不思議と素直に従って下さった。いつしか、イチローなら何と返事をするか?と、返信を書く前に僕の意見を求められる様にもなった。僕が起きるまで返信を待つ事も度々あった。
25歳近く年の差のある僕を、松本さんは友人として扱って下さった。その事は僕の様な下民にとって光栄なだけでなく、例えるならアインシュタインと同時代に生きて、分からない事があればいつでもメールで教えてもらえる様な幸運でもあった。相談したものは、ほとんどタダ同然で何でもヒョイと作って下さった。何より、僕の無い知恵を補ってくれる最強のパートナーとして、スペシャルな心強さを僕に与えて下さった。

彼の普段の投稿に、つい批判的な文言が加わるのには、理由があった。
松本さんが若かりし頃、晴れて特許を取得したEMSという製品に、日本を代表する大企業達は見向きもしなかったと言う。天文雑誌からも無視された、という表現を松本さんはいつも使われていた。
遂に誰も手を挙げなかった特許は満期終了したが、その後に登場したEMSの類似商品についても、松本さんは寝耳に水だった様で少なくとも御本人は快く思っていなかった。さらに追い打ちをかけるように、これまで懇意にしていた取引先が、こぞってそちらの類似品販売に乗り変えた事で、彼は社会から隔絶された様な、孤立無縁の感情を強く抱くようになった。
2枚のミラーで正立双眼を実現した本家その人は、社会から裏切られた。少なくとも、御本人はそう感じておられた。

「EMSの詳細は全て隠したまま自分はこの世を去る。それが社会に対する復讐だ」とまで、頑なに心を閉ざしてしまっていた。山陰地方の厳しい気候にも関係するのか分からないが、根底にある社会に対する恨みの感情が、彼の投稿の行間にいつも見え隠れしていた。本人は恨みと表現していたが、本当はそれは悲しみでは無いかと僕は思った。
こんな素晴らしい発明をしたのに、どうして周囲は自分を認めてくれないのか。そんな葛藤が、レジェンドの心を生涯苦しめた。

昨年末頃は少し弱気になられていて、もうEMS製作は辞める辞めると毎日の様に仰っていた。EMS製作を終了した後は、何をしたいんですか?と聞くと、奥様を連れて、あちこち旅行に行きたい、と無邪気な子供の様に嬉しそうにお答えになった。
その後少し体調も回復され、EMS用のパーツを追加注文するほどに、再び作る意欲を取り戻されている様に思えた。しかしいつも即返事が来るはずが、11月14日の僕の問いかけにはずっと既読が付かなかった。そろそろ危ない事は、鈍感な僕にも察しがついた。

松本さんの作るBINOには、常に新しい提案があった。松本さんから譲って頂いた20cmF7 BINOはもちろんAskar120APO BINOもしかり、4月末の一時退院の時に仕上げて下さった僕の70ED-BINOも例外ではない。これら全てマイルストーンとも呼べる面白いTIPSに溢れているが、この70ED-BINOが本当に彼の遺作となってしまった。
御冥福はもちろんお祈りはするが、、、まるで自分の父親がいなくなった時の様に、今はどうしようもなく寂しくて、まだそんな気持ちにはなれない。

世界中の双眼望遠鏡の写真には、いつも松本さんが開発したEMSが写っているし、世界のどこかで、今夜も誰かがその感動体験に眼を奪われている。僕のこの趣味が今日まで続いているのも、双眼だからだ。
天は知っている。松本さんこそ、かつてなかった概念を世に産み出し最初の一歩を踏み出したその人である事を。松本さんが投じた一石の波紋は、松本さんが去ったこの地上で姿形を変えながら未来へと広がっていく。誰が与えずとも、僕は松本さんに感謝と共に名誉勲章を贈りたい。
関係者の皆様も、天に向って彼が残してくれた功績をどうか真っ直ぐに伝えてあげて頂きたい。皆様のその一言が、松本さんが何より欲しかったモノなのだから。



























