以前、友人が教えてくれた「貴方は何のために写真を撮るのか」の中に多くのヒントがあったのだが、それでも僕の足りない頭では未だモヤモヤしていた。ところがある日、美輪明宏さんの美しいお言葉の中に、僕の知りたかった答えの全てがあったので是非ここでご紹介したい。
人間を形成しているのは肉体と精神。肉体の方は食べたいだけ食べてダイエットなんかして、贅沢な時代になった反面、現代は精神がカラカラに乾いてしまった状態にある。精神を司るのは文化。
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり
過去の日本の先人達は、言い得て素晴らしい言葉、文化を残してくれている。我々日本は美学の国。
美は人間が生まれてきた意義であり、人生は美を求める修行そのもの。
万物に変わらぬものはない。「変化」は地球の法則であり、自然の摂理。
変化して当たり前、いい時もあれば悪い時もある。草花も、つぼみが見事な花を咲かせ、やがて散っていく。そして大地の肥やしになって、また芽が出る。
はっきりとした原色は、私はあまり好きじゃない。それよりも黄昏時、薄暗がりの夕間暮れ。そこに人が立っている。見定めようとするが顔が定かでない。どこかロマンチック。そよ風が吹き、川面の水の匂いがする。
素敵じゃありませんか
刻々と変化している中に佇んでいる人。変化そのものが美であり、風情。
全てが哀れの美しさ。滅びの美学。
日々の子供の成長過程の他愛もない写真も、今も笑いながら普通に電話をかけて来そうな、去年旅立った親父の写真も、僕にとっては大切な1枚だ。変わらないモノなど何も無い、その象徴こそが、時間を止める瞬間芸術である写真そのものではないのか。
我々のDNAが、無意識だけど感覚的に感じ取っていた日本の美学。現代のビッシビシの非球面レンズを好まない趣向も、自分では言葉で説明する事が出来なかった。
彼の(彼女の?(^^))言葉のお陰で、長年の喉のつかえが取れた思いがした。