Yellow road – Sony ILCE-7, Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 (ƒ/1.4, 1/2500, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.
僕は2015年2月25日にLeicaの世界に入った。と言ってもカメラBodyでは無くレンズ。初めてライカレンズ、Summilux-M 1:1.4/50第二世代を手に入れた。御徒町の中古屋で20万円ほどだった。それまでContaxとか、M42とかコシナのCarl Zeissばかり色々売ったり買ったりしていたが、ビンテージ・ズミルックスを僕は大いに気に入った。
パリの朝。Sony ILCE-7, Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 (ƒ/1.4, 1/2500, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.
Gypsy – Sony ILCE-7, Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 ©2017 Saw Ichiro.
その時にビンテージに行ったのは、現行モデルが高すぎて買えなかっただけの理由だった。今、最も後悔していること。それはこのレンズを手放してしまった事だ。シリアル2072805、1964年製だった。中身は2ndだが外見は1stのシルバーという隙間製品で、写りもモノとしての質感も最高だった。
現行のズミルックスの方が偉いと、ずっと思っていた。だから現行ズミルックスASPHを手に入れて、もう使うことは無いだろうと思ったのだ。
この時代のズミクロンと違い、ズミルックスはシリアル200万あたりでコーティングが変わってから、既に十二分に濃厚な発色を持っていた。ズミクロンが同様の鮮やかな発色を得るのは、それから10年以上も後の事だ。(少なくとも僕が所有していたシリアル2407807(1970年製)のズミクロンの発色はまだ淡い。1979年から現行と同じ光学系という事なので、転換点はここか?)この辺りの実際の使用感は、スペックや数値には現れにくい。
ズミクロンに限らず、オールドレンズは大抵は発色が淡くなってしまうのだが、ズミルックスは絵に古さを感じさせず、しかし女性的な柔らかさが共存している、極めて類稀なレンズだったと、今になって分かるのだった。。。ああ、これをM10で使ってみたかったがもう同じレンズとは二度と出会えまい。。。
窓。Sony ILCE-7, Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 (ƒ/1.4, 1/200, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.
欠点もある。ズミクロンと同じ被写体で比べると、ズミルックスの方が明確に湾曲する。近距離から人を取り比べると、顔の大きさが違って写るほどだ。その点、ズミクロンの全面的な均一性は最初期から極めて優秀で、最高解像度を求める人はズミクロンの方が適合する。
ズミルックスは、当時はシャープネスがもう少しだけ欲しいと思う場面も何度かあった。それはフォーカス部が明確でありながら、柔らかい表現だったからだ。しかしこれは実は欠点ではない事に、当時の僕は気づけなかった。
先人達のものすごい高解像度のシャープな作品を見るにつけ、新しいライカレンズに僕は憧れを抱いた。実際、ライカのアスフェリカルレンズは驚愕のシャープネスを持っているし、確かにメカを撮るなら現行が良いが、人を撮るならどうか。f1.4開放時に残るフレアは、本当に一掃すべきものだろうか。
ASPHレンズを手に入れて、毎日素晴らしいシャープな写真を並べて、それ自体に飽きてくる頃に初めて、大切なのはシャープネスでは無いという事が、ようやく受け入れられる様になる。一時期、SIGMAメリルシリーズも使っていたが、もの凄い高解像だったが、なんとなく人間の毛穴ばかり観察している様で、すぐに手放してしまった。
改めて周囲を見回して見ると、世の中はカリッカリのシャープなカメラばかりだ。高解像なのに柔らかい表現が得られる事こそ、ライカの魅力では無かったか。
Hydrangea – Sony ILCE-7, Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 (ƒ/1.4, 1/100, ISO 640) ©2017 Saw Ichiro.
教訓。小銭が欲しくてレンズを手放してはいけない。その時気づけなくても、後になって気づくことがある。
(2017年11月3日追記)
購入時の店員さんの言葉が脳裏に残っていて、無意識に僕はこのレンズをずっと2ndと呼んでいたが、正確には1stの後期と呼ぶべきかもしれないと気がついた。でも今まで2ndと書いてきたのを書き直すのは面倒なので、今後はその様にしようかな。まあどっちでも良いか。