Leica Rigid Summicron 1:2/50

Leica M10のポートレート

いつもお世話になっている芸能事務所御一行様が、サプライズで遊びに来てくれた。二人のプロカメラマンもいらしていたが、当然僕も写真を撮らせてもらった^_^ 女優・タレント VANRIちゃん。葉山のバルコニーにて。 今まで何を撮りたいか?と聞かれても「なんでも」としか答えられなかった僕だが、ライカを使うようになってから、明確に「人」を撮りたいと思うようになった。 Thorsten von Overgaard氏の何気ない一節が、妙に心に残っている。 "In a portrait session two people meet and have to work together to accomplish a portrait that they can agree is good. A…

富士フィルム X-T20のレビューと比較

このブログに現実逃避も出来ないくらい、タイムスケジュールに追われてしまって、個人としての生活に様々な支障が出てきている。ほとんどライカも触れていないし、買って間もないフジは嫁に預けっぱなしだが、今日ようやく時間が取れたので、やりたかった比較実験をしてみた。 プロ・オーディオの世界では、100万円と20万円の機材の間には、超えられない壁がある。20万円の道具でも十分に仕事は出来るが、一度比較してしまうと、個人の好みの問題を超えて、その優劣は誰にとっても明々白々なものだが(民生オーディオは価格と音質が全く比例しない不誠実なモノも多い)カメラも同様の傾向はあるのか?   この写真はお互いを撮ったもので、ライカM10にはSummilux 50mm f1.4 ASPH.、フジX-T20には固定鏡胴ズミクロン50mm f2.0が付いている。固定鏡胴ズミクロンも、カルティエ・ブレッソンやソールライターも愛用した伝説的な銘玉だが、X-T20に付けると今の所、どうもぱっとしない。M10とX-T20では、まだまだ表現力の差がある様に見える。どこか潤いを感じさせるライカに対し、X-T20は乾いている。これを人はライカの空気感とか呼んだりする。 ただし、これはライカはRawで撮っていて、フジはJPG撮って出しの点で、ライカ有利ではある。しかもこの時はフジのJPG設定を極端にいじっていたかもしれない。 フジをJPGで使いたくなるのは、お得意のフィルム・シミュレーションがJPGにしか活かせない(と思ってた)のと、Lightroom CCではそのままではフジのRawを現像できなかったからだ。 X-T20のRawを扱うには、Camera Rawプラグインをアップデートする必要がある。たった今、アップデートしてみたら、途端に便利になった。今まではJPGしか使えなかったフィルム・シミュレーションが、Rawのカメラプロファイルで後からじっくり選べる。これでJPGにこだわらなくてよくなった。 https://helpx.adobe.com/jp/camera-raw/kb/camera-raw-plug-in-installer.html この事は今知ったので(^_^)、この記事に載っているX-T20の写真は全てJPG撮って出し、ほとんどPROVIAスタンダードだ。 違うレンズではよく分からないので、同じレンズで全く同じ設定で、ライカM10とFujifilm X-T20がどう違うのか、大きな価格差が絵に現れるのか。そこが一番の関心事だ。 葉山、音羽の森ホテルでお茶しながら何枚か比較してみた。レンズはいつものズミルックス50mm f1.4 ASPH.だ。   それぞれズミルックスの最短付近の、いずれもJPG撮って出しだ。撮影者位置はほとんど同じだが、X-T20はAPS-Cサイズのため、周辺がクロップされ拡大して見える。全体的にフジの絵作りはコントラストも彩度も高め。どのフィルムモードも多かれ少なかれ同傾向があり、人為的に後から作り込んだ臭があるとも言える。それがハマる事もあると思うが、これが原因でリアリティを損なう場面もあるだろう。わずかな違いだが、総じてライカの方がやや自然な印象か。   こちらはモノクロJPG撮って出しだ。フジのフィルム・シミュレーションはACROSだ。フジは同様にコントラストは強調気味なものの、こっちはライカを同サイズにクロップしたら、言うほど違いは分からないかもしれない。いや、やっぱライカが佇まいが優しいか。 そもそもズミルックスASPHは、6bitコードでレンズ情報が伝わりライカボディで本領を発揮する点で、ここもライカがちょっと有利と言える。  

アンチ・ライカ

その昔、僕はクルマばっかり撮っていた。というかクルマを撮るためにカメラを買った。当時はカメラ自体に大した興味は無かった。2007年 by ichiro 「それは最高の趣味カメラだね」と言われた。今年の夏、あるプロカメラマンと酒を飲んだ時の話だ。その言葉の裏には、複雑な思いが入り混じってるのを僕は感じた。 実は僕は、アンチ・ライカの人の気持ちが分かる。何もかも価値観が違いすぎて、シンプルの美学なんて言われてもさっぱりピンと来ないと思う。では、あなたはコンピュータは何を使っているだろうか。Macしか使わない!そう豪語する貴方は、一度ライカと深く付き合ってみたら、多分ハマる。人間とカメラとの間に、初体験の親和性を感じるはずだ。 実際には彼はアンチライカでは無く、その時も彼はパナソニック製の小型ライカを携えていた。彼はかつてTVの世界で大いに活躍した人だ。しかし無礼にも、何も知らないアマチュアの僕の方が、ヘラヘラしながらLeica Mの最新鋭、M10をぶら下げていた。誰が見ても構図が反対だ。 Leica M10 + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/5.6, 1/125, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro. 僕は彼に対する不快感や否定する気持ちは全く無いし、むしろ尊敬に値する人物だ。カメラ談義、特にライカの話で盛り上がった。彼はライカに一種の憧れを持っていた。いやむしろ強い興味があると思った。だからこそプロとしての自尊心を守るために、なんとかしてライカを買わない理由が必要な様に、僕には見えた。 「仕事に使うにはキャノンじゃなきゃダメだよ、多灯ストロボ使用時の肌の色は、キャノンでなければ出せない」「ライカの絵はキャノンを加工すれば得られる」という様な事をおっしゃっていた。一回り上の先輩だし、酒の席だし楽しかったから、僕はなるほど、うんうんと一言も反論せずに聞いていたが、実はそのいずれも反論がある。 言っている意味も気持ちも分かる。しかしライカはマニュアル撮影を楽しむだけの趣味カメラというのは、正しく無い。Leicaの本質は、一切の妥協の無い本気の仕事カメラだからだ。 運動会、レースなら、キャノンの方がいい。全てのシーンを絶対に抑えなければならない結婚式も、ズームレンズ&オートフォーカスの方が無難だろう。プロカメラマンを僕はリスペクトしているし、僕も昔、かっ飛んでくるF1を連写するのに夢中になったが、カメラの仕事はそれだけじゃ無い。 ライカは自らの美学を発信する芸術家の右腕に相応しい、こちらもプロの道具なのだ。 by ichiro。小さい写真なら残っていたので引っ張り出してきた。2007年の富士。この時はPentax K10Dだったかな。ちょうど10年前か、懐かしい。 日常の中から美を切り取るストリート、深く個性を写し込んだアー写、ジャケ写、ポートレート、ルポルタージュ。ライカの強みを発揮する場面は多い。アンチ・ライカの共通点は、ライカを所有した経験がない事だ。出てくる絵は、どうしても僕はルクスやノクチの方がセクシーに見えるのだが、カタログのスペック表だけ眺めてもその優位性に気づけないのは、当然の事だと気が付いた。 僕がクライアントだったら、キャノンを加工してライカっぽくした絵が欲しいんじゃ無い。ライカやハッセル、ローライで勝負している人は、周囲の潮流に抗い、数値化できない何かを信じ求める人だ。何でも無難に撮れる人じゃなく、何か一点に突き抜けてる人。自分の大切な仕事はそういう尖ったフォトグラファーに頼みたいのだ。…

カルティエ・ブレッソンの教えをM10でやってみる

撮影前に気合を入れる(笑)HASSELBLAD 500C, Makro Planar CF 120mm F4 T* 設定は全く覚えていないw by ichiro いよいよ仕事が忙しくなってきたので、またこのブログに現実逃避することにする(笑) この秋に手放したHASSELBLAD 50周年記念 500C & Makro Planar CF 120mm F4 T*で撮った最後のフィルムの現像が上がって来た。現像に出そうと思いながら数ヶ月間、使用済みフィルムをバックに入れたまますっかり忘れて持ち歩いていたら、カビが生えてしまった(笑)。それだけM10が面白かったとも言える。汚らしいのでアンダーにして誤魔化す。 HASSELBLAD 500C, Makro Planar CF 120mm F4 T* by…

好きな写真家:ソール・ライター

今年、渋谷で大規模な写真展が開かれ、日本でもちょっとしたブームになった感のあるソールライター。かく言う僕も写真展の直前に初めて彼の作品を見てその魅力に引き込まれ、写真展の知らせを知ってすぐさま駆けつけた。   by Saul Leiter by Saul Leiter 彼の多数の作品が展示されていて、中央には彼の使っていたLeicaが鎮座していた。Leica M4、レンズは沈胴ズミクロンの次の第二世代、Leica Rigid Summicron 50mm/f2.0Mだ。(これを第一世代にカテゴライズする人もいてズミクロンはややこしい。英語圏ではType2と呼ばれるのが一般的か?) 映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より 彼の道具のそれぞれシリアル番号まで僕は知っている。M4が1272827、ズミクロンが2160005だ。Leicaシリアルナンバーリストによれば、彼のM4は1970年製、レンズが1966年製という事になる。たまたま年代の近いRigid Summicronがちょうどヤフオクに10万で出ていて、僕はすぐに落札した。人の真似をして同じ道具を買う、そんな買い方をしたのはこれが初めてだった。僕のは2116583、1965年製だ。 しかし、おかしいのだ。展示されていた彼の作品は、どれも40年台から50年台の作品、つまり、M4もRigidズミクロンもまだこの世に無い時代の作品なのだ。画作りも気をつけてみれば、どうもライカでは無い様に見える。当時のライカレンズは最先端の解像度と引き換えに、ボケがぐるぐるになったり、二重線になったり、ボケだけ取り上げれば"美しい"と形容されるものでは無いのだが、彼の作品のアウトフォーカス部に、それらの現象が一切見られないのだ。 by Saul Leiter by Saul Leiter 超写実的なライカとは対極の、夢の中に居るような柔らかい表現。ライカというよりむしろZeissに近いと思った。そもそも50年台の作品としては妙に絵が美しい。つまり少なくとも渋谷で展示されていた作品群は、ライカでも、35mm版でもなく、中判カメラだったのではないか。 彼の若かれし頃の写真を見つけた。Graflexをいうカメラを使っている。恐らく、こんな所なのだろう。これはアメリカの中判らしいが、詳しい事はよく分からない。Rolleiも使っていた様だ。 by Saul Leiter それにしても、渋谷の個展ではライカで撮った作品は一枚も無いはずなのに、何故ライカを展示していたのだろう。ほとんどの人はあれはライカで撮った作品と誤解してしまう。カッコいいから?今回の個展では無かったが、いずれソウルライターのライカで撮られた時代の作品も公開されるだろう。その日が待ち遠しい。 まあこんな経緯があり僕が購入した固定鏡胴ズミクロンは、僕にとって意義の深い存在となった。これをボディに装着する時、いつもソールライターが頭をよぎる。そんな素敵な想いと共にこの美しいレンズを眺めている。これからも長い付き合いになりそうだ。…

Leica M10が来て二週間後のレビュー

Leica M10 Black Chromeを買ったので、これを機会にブログなんかを作ってみた。特に日本語はまだまだM10に関する情報は少ないので、皆が書いてない事を中心に少し書いてみようと思った。 今年に入ってM9P、M Typ240を経て、これで3台目のライカボディだ。M9PもM Typ240も中古だったので、M10は初めての新品ボディ。立て続けに3台も買い替えるなど自分でもどうかしてると思うが、僕がLeica Mにこだわる理由は、巷で言われる様にレンジファインダーの速射性や、撮る楽しさ云々というよりは、日常的に持ち歩けるサイズの優れたカメラを求めた結果だった。 以前はキャノンやソニーのフルサイズ機を使っていたが、同じ人間が撮ってもライカは時々、予想以上の上質な質感、濃厚な発色、美しい階調と立体感を与えてくれる。写真を愛する者として、大切な人、モノ、シーンを撮る時に、可能な限り美しく残したい。生涯手元に置いておきたくなる様な、素敵なカメラを相棒としたい。僕にとって、Leica Mはまさしく、そんな想いに答えてくれるカメラだった。 実際の絵は他人から見たら、もしかしたら取るに足らない違いかもしれない。しかし自分自身が信じる道具で、自分自身が納得出来る事が、僕には必要だった。ハッセルブラッドも所有しているが、ハッセルはやはり、大きく重かった。やがて外に持ち出さなくなってしまった。僕にとって、コンパクトである事は、絶対条件となった。 仕事中に写真を撮って遊んでいる音響。Leica M10 + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/1.4, 1/60, ISO 200) ©2017 Saw Ichiro. M10の箱を開けた時、実はM9P、M Typ240ほどの感動は無かった。細かな違いや改善点はもちろんたくさんあるが、そのオーラというか、存在感、高級感、所有欲を満たす感覚は、M10は今までのデジタルライカと全く同じだからだと思う。箱も全く同じだった。今までよりちょっと性能がよくなったライカ。そこに対して90万円を捻出したのは、果たして正しかったのだろうか?フジXシリーズなら、70万円のお釣りが来る。そんな事をぼんやり考えながら、M10を撫で回していた。 今までと少し、違った感覚もあった。M9PとM240は、宝物の様に大切に取り扱っていた。でもM10は、そういう気持ちにならない。もっとラフに、純粋な道具として使い倒したい方が勝るのだ。多分、M240までは、近い将来手放す日が来る事を直感的に感じていたのだと思う。だからリセールバリューを常に気にしながら使っていた。実際そうなった。M10は、これこそ長く使える!という確信があるのだ。もしかしたらこれが自分にとって最後のライカ・ボディになるかもしれない、そんな予感があるから、ボロボロになるまで使ってみようと思えたのだ。 弟と友人。Leica M10 +…