2017年9月29日 ichiro

ライカ病


Leica M10 + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/2.0, 1/2000, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.

クリアで写実的な美しさを求めてM10を手に入れると、また油絵的なアート性を求めてM9が気になって仕方がない。中判カメラの様な立体感を求めてノクチルックスの作例を探し回り、最高峰の解像度を求めてアポズミクロン50のローンのシミュレーションする。気がつけば、毎日なんとなくライカの事を考え、ライカのヤフオクを見て、ライカの作例を眺めている。これを、ライカ病と呼ぶ。

これに抗う方法は一つしかない。しばらく、我慢する。

数ヶ月経つと、好奇心の矛先が少しそれる。我慢しているうちに、買う寸前まで行ったアポズミクロンを留まる事が出来たし、多分もう少し我慢するとノクチルックスに130万円投資する危険を回避する事が出来る。もちろん正気の沙汰では無いことくらいは分かってるが、ノクチにしか撮れない世界が、そこにはある。


Leica M10 + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/1.4, 1/60, ISO 500) ©2017 Saw Ichiro.

ズミルックス50mmも、最高にいいレンズだ。これを買う時、一生50mmは困らないと言われ、自分でもそう思って買った。ある面でそれは正しいが、ある面で正しくない。ズミルックスを手放す理由は2つだけある。ノクチルックスを買った時と、アポズミクロン50mmを買った時、あるいは両方手に入れた時だ。

レンズの重さ、最高の解像度と見事な立体感が高次元でバランスしている。ズミルックス50mmは中庸。中庸というのは、何かの一面に突出していない事を意味している。僕はズミルックスは大好きだし何の不満も無いが、そこに一抹の物足りなさを感じてしまう。


Sony α7 + Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 ©2017 Saw Ichiro.

僕が以前ソニーを使っていた頃は、撮った後で原型を留めないほど加工して作品作りをしていた。それは深層心理でソニーから出てくるデジタルの素の絵が自分で気に入らなかったからだと思う。その辺のポストカードの様な、ただ綺麗で優等生な写真では飽き足らない。だから絵を汚して、ドギツいコントラストや意図的な劣化を施して楽しんでいた。それはそれで楽しかったし、ある意味、今より自由だったし、クリエイティブだったとも言えるかもしれない。


Sony α7 + Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 ©2017 Saw Ichiro.


Sony α7 + Leica Summilux-M 2nd 1:1.4/50 ©2017 Saw Ichiro.

ライカを愛する者の多くは、ライカの絵作りそのものを楽しむ傾向がある。僕もライカを使うようになって、後加工を一切やらなくなった。後加工をする必要を感じないからだ。加工しても、オリジナルより良くなったと思えなかった。それよりもこのカメラは、このレンズは、どういう画作りをするのか?ドイツ職人達が考える美とはどういうものなのかと言った、どんどんマニアな方向に興味が逸れて行く。その対話そのものが楽しく、それとは違う場所に向かって無理やり加工する気持ちにならないのだ。


Leica M10 + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/1.4, 1/60, ISO 400) ©2017 Saw Ichiro.


Leica M10 + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/2.0, 1/4000, ISO 100) ©2017 Saw Ichiro.

だから、ライカの作品をつまらないと感じる人は、多分おおいと思う。実際、何の変哲も無い近所のつまらない写真の中に、非常に「ライカ的」な質感を見出してオーナー独りだけが楽しんでいる場面は実に多い。それはクリエイティブかと言われたら、そうでも無いかもしれないし、むしろコレクター寄りの感性とも言えるかもしれない。右脳よりも左脳で楽しんでいるのかもしれない。


Leica M9P + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/1.4, 1/350, ISO 160) ©2017 Saw Ichiro.

別に単なる趣味なんだから、どういう楽しみ方をしたって他人がとやかく言う事でも無いが、結果、ライカを手にすると写真がつまらなくなり、下手になるメカニズムは存在すると思う。それは道具に頼っているという言い方も出来る。適当に撮ってもカメラがカッコよくしてくれると、僕はどこかで期待している。

もしそこを否定する気になったら、ノクチも、アポズミも、M10そのものも否定する事が出来る。どれもこれも、自分の作品の価値を道具に高めてもらう事を期待しているのだ。本当なら森山大道の様に、カメラなんて何でもいい。写真を撮るのは人間だ。


Leica M Typ240 + Leica Summilux-M 1:1.4/50 ASPH. (ƒ/2.0, 1/4000, ISO 200) ©2017 Saw Ichiro.

最近、Leica M10で撮った解像感や発色の美しさに慣れてきて、驚かなくなってきた。せっかくの色味や解像度が勿体無いなんて言わずに、ライカで撮った絵を無茶苦茶に汚したり、加工したり、思い切り作り込んだっていいじゃないか。完成されたものを思い切りぶち壊す試みを、これから挑戦してみるか。

だったらM10じゃなくていいじゃん?という作風を、敢えてM10でやるとどうなるのか。酔っ払って取り留めもなく書きながら、ちょっと目標が出来て楽しくなってきた。

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